2006年01月23日

引越しします

このブログ、実は書き込みが大変な時間がかかるのです。

その上にトラブルも多い。

それで、島唄研究と同じブログに引越しします。

みなさん今後はこちらをごらんください。

お手数かけますがよろしくお願いします。

http://taru2.ti-da.net/
posted by たるー at 23:48| 広島 ☀| Comment(31) | TrackBack(11) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

22日免状をいただきました。

主要な目的は由絃會の新年会、免状授与式に出席することだった。
寒い広島から、桜の咲く暖かい沖縄へ。
今月2度目の訪沖。
贅沢なのだが、前からこの由絃會の新年会は面白いと聞いていた。
そして教師の免状授与。これはぜひ自分で行きたいと思った。

そして、22日。西原町中央公民館にて由絃會の新年会が400名近くの参加で盛大に行われた。

いつもはコンクール会場になっている公民館の大ホール。
そこにぎっしり机をならべている。

総会、そして免状の授与式。

06-01-22_16-56.jpg

教師11名、師範7名に授与された。
大きな免状だ。
06-01-22_14-56.jpg

すぐに紋付はかまに着替え、初春大演奏会にうつる。
教師、師範は壇上で模範の演奏。
私も末席に座らせていただいた。
かぎやで風(新年バージョン あらたまの年に炭と昆布飾て 心から姿若くなるさ)
恩納節
御縁節
揚竹田節
由絃の謡
安波節
祝い節
かたみ節
鶴亀節
鷲の鳥節

以上10曲を続けて歌う。さすが400名近く大演奏は迫力だ。
こまったのは幕が下りてから。
足がしびれて。。。何名かの先生達と一緒に舞台裏で「ううう」とうなっていた(笑)
ベテランの先生でも、あるんだなあ。

このあとがすごい。延々21時まで演芸が続く。
仲西光雄先生の教室も「ウーマクカマデー」と「新カヌシャガマよー」を披露。
元横川教室のAさんも参加。

舞踊あり、芝居あり、もちろん民謡もさまざま。これは見ものだと思った。
生活の中に演芸が生きている島だと思った。
教室の方と長い時間飲みながら、話もできてよかった。
上江洲由考先生たちとも話をさせていただいた。
ユイユイシスターズとも記念写真。

カチャーシーと芭蕉布の合唱で幕を閉じ、そのあとは研究所で「ぐっしー」に。
また、ここでもカラオケ大会。私は一瞬の眠気のあとまた飲み続けた。

この日の前後のことはまた後日書きたい。

いただいた免状。

DSCF0003.JPG

posted by たるー at 23:28| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月21日

祝い事は続く

木曜は横川教室。
なんと贅沢なことにお祝いをしていただいた。
心に残るのは手作りのお祝い。
歌を作り、ウチナーグチで祝い節にのせて歌ってくれた。

06-01-19_21-41.jpg

手作りのケーキ。
花束、プレゼント、おいしい料理、枚挙に暇がない。

みなさんのきもちが嬉しい。

ちょっとインフルエンザでつらい日々をすごしたことも忘れるくらいの晴れやかさ。

手許には、プレゼントでいただいた天気予報も月の満ち欠けも教えてくれる時計がある。

みなさん、ありがとうね。
これからもよろしく。
一緒に歌三線の道を歩みましょう。

06-01-20_00-05.jpg
posted by たるー at 00:06| 広島 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月15日

夢の中まで

インフルエンザA型にかかった。

38、8度。金曜に会社でえらく体がだるく仕事しながらも意識がすこし朦朧としているので
どうもおかしいとおもいつつ帰宅。熱を測った。

土曜。朝早く近所の大病院へ。市販の風邪薬も抗生物質も効かないようだ。

「どうも風邪だけではないようですね。はやりのインフルエンザかも」
医師は「簡単な検査でわかりますよ。やってみます?」
意地悪そうに医師が見えた。
私は、あの医者がノドを診るときの金属のヘラ恐怖症。
ノドに入れなくても見ただけでも気分がよくない。
しかたない。子どもの頃からのなにかトラウマなんだろう。

いわれたとおりまったく簡単だった。
綿棒のついた長い棒を鼻の奥、つまりノドまでつっこむ。
「気持ち悪いかもしれませんがすこし我慢して」
ううう。となりつつも、はじめての痛みをこらえつつ20分も待たないうちに呼ばれた。

数年前まではインフルエンザなんてほっとくしかなかったんですよ。
それに薬のんでも2、3日症状が緩和されるのが短くなるだけ。
タミフルしか、うちはないんですが、だしておきましょうか。
副作用もあるかもしれませんよ。

見識のありそうな医師のいうことは聞く。
たしかに薬と体と感染症の関係は、飲めば治る、という簡単なものではない。
体力があるなら薬はなるだけ飲まないほうがよいに決まっている。

しかし現代社会。時間に暮らしを縛られている以上、なにかにすがってでも時間を優先
しなくてはならない。長い目で寿命を縮めても。


食欲が落ちているのも、若い時にはなかった。
おかゆやみかん以外はあまりノドに通らない。

レンタルビデオで「シスの復讐」「バットマン」あと、老コーチと女性ボクサーの悲しい話(題名失念)を借りて、見ては寝、寝ては見る。
ぽんかんがおいしいので2袋も買ってくる。
コーヒーゼリーも買い込んだ。

スーパーでも38度の熱をキープした体は頭を朦朧とさせてくれる。
体は24時間ウイルスと戦っているのだ。
その間、私は、ダースベーダーの誕生秘話を目を細めてみている、というのはなんかおかしい。

病気になると身体は自分から離れていくような気持ちになる。
思うように動かないこともあるが
意識すら、うまく制御できない。

高い熱がででると妙な夢をみる。

あまり思い出せないが思い出さないほうがいいのかもしれない。

金曜日。仕事中に朦朧としているときに三線の夢を見た。
来週由絃會の教師会でやる曲があたまのなかをぐるぐる回っていた。
こりゃいかん。いかん。
しかし夜、夢でみる。やはり歌っている。もがいていたような記憶すらある。

しかし、まる2日寝込んだすえに、すっかりそういう夢はみなくなった。
たまには息抜きもいる。夢の中でまで練習するのは病気だ。

熱は今朝すっかり下がった。
タミフルは効いてるようだ。
身体の戦いも勝利したようだ。
まるでシグナルのように38、8度から36、8度になるというのは自分の体ながら面白い。

しかし今日予定されていた教室の新年会、とても楽しみだったが断腸の思いで欠席。
みなさんには大変申し訳ない。

明日からまた三線な日々を続けよう。
病気をしてはじめて分かる健康のありがたさ。
三線が気持ちよく弾けるのも健康だからだ。

健康に感謝しよう。
posted by たるー at 21:01| 広島 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

マイ印鑑

3連休最終日。
22日の新年会で歌う曲の練習も疲れてふらっと東急ハンズへ。

ほんとは中央図書館にある本を探しにいったのだけど、
今日は休日でしたね・・・

で、東急ハンズ、ここはモノを買いに行くところでもあるけど
モノを見つけるところでもある。

前から欲しいと思っていた自分の印鑑を作るツールが売ってある。
購入し製作。

「樽金」と堀りたいがフォント、というか文字が分からない。

ネットで調べたら篆書体(てんしょたい)というらしい。
で、それを調べて買ってきた石に書き写す。
そして電動ローターでガリガリと1時間。

おお、ついにできました!
まあ、最初だからね、ちょっと字が曲がっていたり切れているのはご愛嬌。

06-01-09_16-30.jpg

06-01-09_16-27.jpg

posted by たるー at 16:38| 広島 ☀| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

元旦、沖縄への旅

06-01-04_17-31.jpg

昨年末の29日飛行機で宮崎に帰省して、年末のカウントダウンを息子らと過ごし、そのあと、実家で一杯飲んで、翌朝、つまり元旦の朝、宮崎空港から沖縄に飛んだ。

飛行機から見た初日の出は、体が熱くなるくらい強い日差しとまぶしさ。
一年の計を考える暇もなく眠気が襲ってくる。

那覇空港について、ホテルへ。さすがの沖縄あたたかい。一昨年末にきたときも車はクーラー。暖房器具など探すのが無理だった。
今年は寒いからかホテルの部屋にも小さなストーブがあった。

元旦はおとなしく稽古。
夕方は先生と稽古。

2日。車でドライブ。
浜比嘉島に始めて渡ってみる。

06-01-02_15-39.jpg

これは浜比嘉島からみた宮城島あたり。

06-01-02_15-23.jpg

まるで竹富島のような古風な家並みが続く。


06-01-02_15-24.jpg

帰りに、大きなクファディーサが墓の前にあった。ものがなしい様子は落葉広葉樹なので色が変わり、落ちていく。

06-01-02_15-27.jpg

クファディーサは、昔から墓場や家の裏などに生えている。
一説では「人の悲しみや涙」をえさにしているようだ。
落葉した葉っぱも美しい。

06-01-02_15-28.jpg

屋慶名クファディーサは町並みの中にひっそりとあった。

06-01-02_15-55.jpg

全体像を取ろうとしたがメモリーがオーバー(泣)


つづく




posted by たるー at 23:45| 広島 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月29日

しばらくお休み

明日から宮崎へ帰省し、一日に沖縄入りします。
ここのブログは携帯からの書き込みがとても不便。
よって、このブログはしばらくお休みします。

他のブログで様子を書き込むかもしれません。

月夜浜掲示板http://8329.teacup.com/taru/bbs
ならびに 島唄研究ブログhttp://taru.ti-da.net/ はなるだけ更新する予定です。

では、みなさんよいお年をお迎えください。
そして来年がみなさまにとってよい年でありますように。
posted by たるー at 00:40| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月27日

紫色の空

空気が澄んでくるこの季節。
私の働くこの町の空では、夕方に時々紫の空を見る。

仕事が終わるころに西の空に冷たい空気とともに
丸い雲と空がやや紫がかって見える。

いよいよ試験が一週間後に迫った。
緊張感よりも、うれしい気持ちで胸がいっぱいになるのはどうしてだろう。

まったくの自己流ではじめた沖縄民謡と三線。
だれの教えもなく、気がついたら、会社で「かんから三線」を作って手にしていた。
工場に落ちている角材と、ゴミ捨て場にあったお菓子のカンカン。
知り合いがくれた釣り糸。
機械で削り組み立てる。
音が出ない。
なんとか工夫する。
音が出た!!
そのときの嬉しさ。

三線の姿を想像しながら出来上がったかんからを持って
沖縄料理屋さんを回り、へたくそな歌を聴いてもらっていた。

「がんばってね」
沖縄の方は、苦虫をかんだような顔をしながらも、手作りの三線を持って歌うものに
やさしい言葉とはげましを忘れなかった。

その冬、三線が欲しくなった。
気がつくと、「宅急便です」と三線が届けられた。
私の性格は、目的が決まるとその過程は記憶に残らない回路でできているらしい(笑)

ケースを開けたときの蛇の皮の匂いはいまでも忘れない。こんなことはよく覚えている。

そして、三線を持って出かけた近くの公園。
へたくそな谷茶前を歌っていた。

その背景には紫の空があったのを覚えている。

それを見ると一昔前の、三線をはじめたばかりの自分が見えるような気になるのだ。

そして、しばらくして河原が私の三線練習場になる。
熱い夏の夕方。涼しい風をいただきながら三線を引き、ビールを飲む。

それから、紫色の空を何回見ただろう。

空の色も空気の味も変わらない。
三線の音色も歌も変わっていないかもしれない。

それでもあと一週間後
私は沖縄で歌っているだろう。
ないごともなかったように。

04-11-08_16-44.jpg
posted by たるー at 22:25| 広島 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月25日

実況

巷ではクリスマス。
私はあと試験まで一週間ということで浮かれたいけど浮かれられない。

しかし、朝からずっと三線を弾くわけにもいかず
まあ正の字を書きつつ課題曲をあちこちで唄っている。

昼。太陽も顔だした。
三線持って河原だ。
お決まりのコース。
暖かいお茶とチョコを買って
いつもは将棋のおっさんらがたむろするベンチもさすがに冬だ。
だーれもいない。

瀬野川にゃあいいシチュエーションで鳥だちが水浴びしている。
あいつら寒くないのかねえ。

いいシチュエーションとは、南洋浜千鳥の情景にピッタシだからね。

それにしても太陽のぬくもりも北風には負ける。
課題曲かぎやで風、由絃の謡、南洋浜千鳥、宮古根をふるえつつ。。

宮古根と浜千鳥はくりかえして10回くらいは歌ったが
かぎやで風と由絃は5回が限度。
風邪をひいたら意味がない。

退散だ。。。

さ、サウナに行こう。。

体温めにゃ。。。

さむげな海田の河原から実況中継でした(笑)

05-12-25_14-23.jpg


posted by たるー at 16:01| 広島 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月23日

送別会

昨日は横川教室 弾き納め。
雪も降る寒い日。

期せずして、教室のAさんが沖縄へ移住するために送別会ともなった。
甑の2階で鍋を囲みながら一年間の想いを各自が語った。

一年毎週唄三線を続けることはそんなに簡単なことではないが教室があり仲間がいるということは支えあう持続する力になるものだと思う。
そしてその仲間の中から大きな志を持って沖縄に行くAさんにみなさんもはなむけの言葉を送った。

keeki.jpg

こんなケーキまで飛び出した。
それから来年4月に結婚をされると発表されたKさんもおめでとう!
いろんな意味で昨日の宴会はなにかをめざして生きていく人をたたえるものだった。

私は教室を指導させてもらってきて、教室のみなさんを「仲間」というより同じ志を持つものとして死語のようになっている「同志」だと思っている。
同志って、古い言葉だが、どこかの国の指導者をさす言葉にしておくのはもったいない。

沖縄民謡を愛し、それを楽しく学ぶということのなかには辛い事だってある。芸術を志すということは楽しいばかりではない。技術を習得する、学ぶという行為の中には苦しいことだってある。そうでないと大きな達成感と喜びは味わえないのだと思う。

苦しいときに、一番励まされるのはやさしい言葉よりも、前を向いてひたすら唄三線を学ぶ姿を見ること。示すことではないか。
言葉は飾ることがいくらでもできる。
しかし、生き方はまる裸だ。
正直だ。
ごまかしがきかない。
その人の行き方、姿勢、態度の中には本当の言葉があるように思う。
それが同志ではないかと思う。

沖縄語で友達をさす言葉に「どぅし」があるがこれは「同志」からきていると思うのはうがっているだろうか。(おそらく違うであろうが・・)

教室を離れても同じ三線同志(どぅし)として唄三線の道を極めよう。
来年7月に西原で会おう。





posted by たるー at 12:35| 広島 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月18日

土日

昨日は中国新聞文化センター興銀ビルの教室。
みなさんで稽古をしていると、中国新聞の方がカメラを持ってきた。
「次回の新聞に稽古の様子を載せたいので」と。

稽古も7時すぎにはやめた。
今日は忘年会。
教室の方が予約してくださったのは大手町にあるアルゼンチン料理の店。
さむいなか肩をすぼめて三線を担いで歩いた。

最初、濃い民族的雰囲気を想像していたが入ると、お客も多く暖かい家庭的雰囲気。
まるでセンスいいイタリア料理店のようだ。

よくわからないメニューも親切な店員さんとマスターのガイドによって頼みつつ、あまり交流もなかった教室のみなさんとの話は盛り上がった。
公務員、民間、病院、団体職員、学生などなどみなさんの職種は多様。

なぜ沖縄に?という質問も多様な答え。

学生のTさんは九州出身だが「沖縄民謡がやりたくて」と。沖縄には一度も言ったことはないという。
こういう若い人も最近よく見かけるようになった。
少し前は沖縄に旅行してはまってしまって、三線まで、というパターンも多かったが、それだけ本土に沖縄の民謡が知られるようになったということだろうか。

ビールにアルゼンチンワインの少し強いやつをいただいてほろ酔い気分のころお開き。
値段もリーゾナブル。
と、ドアを開けたとたん驚いた。雪景色。どんどん降り積もる雪。

そのあと駅で、吹雪のホームで電車を待たされたり大雪を足に雪が入り冷たい思いをしながら帰宅した。
それでもおいしい料理と教室のみなさんとの楽しい時間が心を暖めてくれたのか、辛くはなかった。

05-12-17_19-41[1].jpg
(アルゼンチン料理、餃子の皮のようなものでカレー味のミンチを包んであげたもの。ほかのも肉、やさいたっぷりで十分飲んで3000円くらい)

実は、昨日教室の前に自分の稽古をしようと平和公園へ。
寒くて雪がちらついたのだが、雪もやんだスキにベンチに座り おもむろに課題曲を。
手がかじかむ。
くしゃみが出だした。
こりゃいかん、とスタバのコーヒーで体を温めた。


今朝、どうもそれで風邪をすこしこじらせたようだ。
鼻水が。。。
温泉に行ったが、車の中で練習。先生のMDを大きくしたり小さくしたりで、いろいろ発見する。節の違いが見える。それを少し訂正。

来月元旦に沖縄入りするが、いつも定宿ではベット。練習するのに正座をしたい。
それで那覇の安いホテルの和室を探した。
あった。これで一日は練習ができる。

今夜は暖かくして寝ないと。
posted by たるー at 23:52| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月17日

試験にむけて

雪がちらつく広島。
暖房しても足が冷える。
横川教室のビンゴで当たった手編みのカーディガンを羽織る。

宅配から電話。沖縄から代引きの品物がきたという。
教師試験で着る紋付と袴だ。

合わせて33800円。
来月2回沖縄行きを計画している身にはすこし痛い。

来月1日は宮崎から沖縄入り。
3日が由絃會教師試験。
4日帰広。

1月22日は由絃會の新年会があり、そこで免状の付与式がある。
試験に受かるかどうかまだ決まらないが、チケットは予約した。
これで受からないわけにはいかなくなった。

さて問題は課題曲。
かぎやで風
由絃會の謡
南洋浜千鳥
宮古根

当初、谷茶前伊計離節もあったり、天川のご指導も受けた。
試験に向けた練習こそが大事ということだろう。

朝昼版の練習は欠かしてない。
通勤では、約20分の歩く区間でMDを聞き一緒に歌う。寒いときは口が動かない。
夏は汗びっしょりになりつつ。
電車の中では居眠りもしながら。

振り返り、師匠に直に習うという機会は多くはなかった。
仲西光雄先生が広島に来られた2回と、いただいたMDを繰り返し聞き合わせてみるという
稽古。それはとてもありがたかった。

南洋浜千鳥を先日三原の合同稽古で歌わせていただいたとき、歌持ちが短く始めてしまった。
理由がある。昼休みの短い時間に稽古をしてきたが、時間を気にして無意識のうちに短く歌持ちをしてしまっていたようだ。
一人で稽古をしているとそういう落とし穴がある。
節も、時々録音はしてチェックしているが、安定しないときもある。
かぎやで風も、三線につられて節が変動しているときが箇所がいくつか発見している。

練習は毎日の積み重ねであるけれど、発見がなければ進歩がない。

いつも失敗をおそれてはいけないと言っているが、それも修正するから進歩するのであって
歌いっぱなし、間違えたままでは意味がない。

かぎやで風は、何度も工工四と声楽を確かめつつ、自分への注意をマーカーで書き込むので工工四は塗り絵のごとくになった。
由絃の謡は、歌詞の意味をかみ締めながら。
南洋浜千鳥は思い入れを込め、そして装飾を廃して。
宮古根はゆっくりと、思い入れを込めて。

あと2週間と少し。
自分が習ってきたことを先生方にそのまま見ていただくという姿勢で練習を積みたい。

沖縄から届いた着物をながめつつ。

DSCF0001.JPG






posted by たるー at 11:53| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月13日

17歳の誕生日

05-12-12_19-571.jpg

17歳になった。
当然、私ではない。息子、長男である。

ちょうど海田教室の日だったが、みなさんのご好意で一緒にケーキを食べていただくことに。
だれかが。ハッピーバースデーを三線で弾く。

17歳の誕生日かあ。とみなさんも青春を思い出して少し話題になった。

昔がよかったという人。
高校時代は楽しくてしょうがなかった、今は苦労ばかりだ。という人。
いや青春時代は胸にとげさすことばかり、と唄の歌詞のようなことをいう人。

私は後者だったなあ。

高校時代はさきがみえず、暗闇の中をわずかな明かりで歩いているような感じだった。
音楽に興味がわいたり、本を読み出したのも、自分の周りの世界が見えないから知りたいという興味だったなあ。
音楽は、まったく今と変わらないスタンス。
その向こうにあるものを知りたくて、自分のものにするという方法。
沖縄民謡、三線もその向こうにあるものに触れることができる。時代や空間を越えて、知らない世界、時代の人々と話ができるような感覚。同じ喜び、高揚感を味わえる不思議さ。

他人は他人であるが、自分でもある、というようなことを音楽や本やもろもろで学んだ。

17歳に戻りたい、と誰かがつぶやいた。

私は若さもいいが、今の自分が一番いいな。
今は苦労も多いが楽しい。


posted by たるー at 23:29| 広島 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月12日

あと20日

3日が試験だ。
仲西光雄先生は昨日こられて教師試験の怖さをさんざん教えられた。

そして歌った「南洋浜千鳥」「なーくにー」
どれも早く、また装飾も多いことは自分でも感じた。
たくさんのメンバーの前ということより、師匠の前で歌うというのはいちばんつらい。

今日は海田教室。

リベンジのつもりもあるので、積極的に歌わせてもらった。

南洋浜千鳥。
先生のいわれるように、ゆっくり。そして丁寧に。
遊びを排除しrた。

ナークニー。先生から教えられた節回しに忠実に。
しかし自分の気持ちはいれながら歌う。

こういう歌は難しいが、気持ちもいい。
うまくいったかどうかは別として、気持ちは高揚した。

yaruu1.gif

人前で歌うことをおそれず、それも修行だとやってほしい。
来年受ける人々とその次の人々の一部はそれに気づいている。
間違えることを恥ずかしがることより、間違えることを恐れることのほうが恥ずかしいのだと。
間違えたら自分の弱点が見える。

これをしない人は進歩がない。

進歩しないでよいと思っているならそれでもいい。





posted by たるー at 23:51| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

稽古終了

05[1].12.11mihara1.JPG

無事三原での稽古終了。
それにしてもたくさんの参加。
先生も4時間にわたる稽古お疲れ様でした。
みなさんもご苦労様。

posted by たるー at 21:36| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日は稽古

仲西光雄先生が沖縄から三原に来られている。
三原には仲西光雄先生の息子さんの仲西樹(たつる)君がいて三原教室の指導をしている。
その三原教室と合同稽古。

三原中央公民館にあつまる予定。

私ももう3週間後に迫る試験にむけてお手合わせをしていただく。

肩の力を抜いていきたいものだ。

posted by たるー at 09:50| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月10日

琉風会忘年会

もう先週のことになるが、琉風会の総会があり、私はもりにーとともに共同代表を退任。
かわりに若いメンバー2人が代表に選出された。

PICT0002.jpg

まあ、5年間を振り返り、創設にかかわったものとして感慨もひとしおなのだが、やはり仲間たちと一緒につくってきた「広島エイサー琉風会」であったし、悩み苦しみもあったが仲間がいたから乗り越えられたということはいうまでもない。

広島に沖縄の風を吹かせたい。平和を願う沖縄の心と広島の心をむすびつけたいという願いで仲間たちと立ち上げた琉風会も、今多くの仲間たちが共感し、ともにエイサーを愛し、沖縄を愛していく輪が広がっている。

琉風会の忘年会の写真ができたというので眺めているが、仲間たちの顔はいいもの。
そして会場は広島の沖縄料理屋発祥の店「琉平」35年くらいの老舗だ。

PICT0003.jpg

退任するわたしともりにーに花束がわたされた。
みなさん、ありがとう!

PICT0033.jpg

宴会は盛り上がり。。

PICT0055.jpg

店内は熱気むんむん、楽しくなれば踊りだす。エイサーも飛び出す。

PICT0076.jpg

私も酔っ払い三線を。

PICT0077.jpg

この5年間仲間がくれたエネルギーに感謝し、またさらにあと5年はがんばるつもりだ。
地謡の育成もしたい。
歌三線も一層精進したいものだ。

とにかく、琉風会のみなさん、応援してくれたみなさん。
5年間ありがとうございました。
これからもよろしく。










posted by たるー at 18:14| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月02日

12月に

とうとう師走になった。

一年間さまざまなことがあったし、また来年はいろいろなことがあるだろう。

あと一ヶ月で試験だ。

あせらず、ご指導いただいた師匠と自分を信じて、いけるところまでいく、それが自分らしさ。

ことしは自分らしく生きてきたような気がする。

来年も自分らしく生きていくために、あと一ヶ月を大事にしたい。
posted by たるー at 00:16| 広島 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月29日

謙虚さに学ぶ

いつもご指導いただいてる(といってもご本人はそう思っていない)胤森さんから電話があった。
いくつか彼の本について質問や意見のファックスをさせてもらった返事だ。

「すぐ返事送るけーの。」

80にもなるおじい。でもウチナーグチからは離れない。
沖縄県立図書館には何冊か、彼の著作の蔵書があるという。
今、検索してみた。
8冊ある!

彼の専門は、中国語、朝鮮語と沖縄語の関連だ。
琉球王朝の頃沖縄には「おもろそうし」など以外、文献、文字文化がなかったために、時代ごとの発音が記録されていない。沖縄と交易があって中国、朝鮮などの資料に発音が記録されている。それを手がかりに時代ごとの沖縄語の変遷を調べ、今日の沖縄語の成立を調べるのが彼の目的。

私は、単なる歌者を目指すもの。
胤森さんとは違う。研究者ではない。
知ったかぶりもするつもりはない。

ただ、ただ、辞書(現在は沖縄語辞典のみ)といくつかの本を頼りに、胤森さんに習いつつ、歌の師匠から習った歌を基本に自分なりの訳をしていくのが基本姿勢だ。

間違いもあるであろう。かの胤森さんもいくつかの間違いもしながら研究をされている。私のは不勉強ゆえの間違い。
しかし、間違えて恥としない。困難な道は間違え、試行錯誤しながら進むべきもの。それだけのすばらしい魅力と価値が沖縄民謡にはあると信じるから。
たとえ間違えていても、それは正しながら進めていきたい。

胤森さんから
「明日、また返事送る。いやーあのときは分からんがったんじゃのー」

人間は一歩づつ進むものだ。謙虚な胤森さんに学びたい。
posted by たるー at 06:34| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月27日

嬉しいことと残念なこと

oji.gif

三線をやっていて嬉しいこと。

いつも三線教室でいっている言葉が役に立ったという連絡を受けた。

その人はある試験をうけていて、大きな失敗をした。
そのとき、私が教室で言っている「失敗したとき、しまった!ではなくしめた!と思ってほしい」を思い出したという。それで、そこを何回も練習して、実はその部分が自分の得意な部分になっていたという話。
実はバイクの免許。

ほう、そうかあ。と私は思った。なんでも通じることなんだと。

三線を通じて、沖縄のことを知る、学ぶといつもいっているが、それを通じて人生に大事なことも学んでいただいているんだと分かった。


もうひとつ、断酒ブログを閉鎖しました。

なかなか断酒にならない。

ときおり酒を飲む。

たしかに今年の春、多くメンバーが新人賞を受けるということになり、私も自分に鞭を打つつもりで断酒を敢行した。四ヶ月の断酒が完遂できたのは奇跡だったのかもしれない。

今回は自分の試験のために断酒するとした。
しかし、なかなか自分のため、というのが苦手なのだ。

それからストレスがたまることで体調に変化がではじめた。
これはすこしまずい。

それで、しばらく中断。
復活するかもしれないが、そのときはよろしく。

明日以降寒波が来るという。日本酒が旨くなる季節だ。
posted by たるー at 21:33| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。