2005年12月23日

送別会

昨日は横川教室 弾き納め。
雪も降る寒い日。

期せずして、教室のAさんが沖縄へ移住するために送別会ともなった。
甑の2階で鍋を囲みながら一年間の想いを各自が語った。

一年毎週唄三線を続けることはそんなに簡単なことではないが教室があり仲間がいるということは支えあう持続する力になるものだと思う。
そしてその仲間の中から大きな志を持って沖縄に行くAさんにみなさんもはなむけの言葉を送った。

keeki.jpg

こんなケーキまで飛び出した。
それから来年4月に結婚をされると発表されたKさんもおめでとう!
いろんな意味で昨日の宴会はなにかをめざして生きていく人をたたえるものだった。

私は教室を指導させてもらってきて、教室のみなさんを「仲間」というより同じ志を持つものとして死語のようになっている「同志」だと思っている。
同志って、古い言葉だが、どこかの国の指導者をさす言葉にしておくのはもったいない。

沖縄民謡を愛し、それを楽しく学ぶということのなかには辛い事だってある。芸術を志すということは楽しいばかりではない。技術を習得する、学ぶという行為の中には苦しいことだってある。そうでないと大きな達成感と喜びは味わえないのだと思う。

苦しいときに、一番励まされるのはやさしい言葉よりも、前を向いてひたすら唄三線を学ぶ姿を見ること。示すことではないか。
言葉は飾ることがいくらでもできる。
しかし、生き方はまる裸だ。
正直だ。
ごまかしがきかない。
その人の行き方、姿勢、態度の中には本当の言葉があるように思う。
それが同志ではないかと思う。

沖縄語で友達をさす言葉に「どぅし」があるがこれは「同志」からきていると思うのはうがっているだろうか。(おそらく違うであろうが・・)

教室を離れても同じ三線同志(どぅし)として唄三線の道を極めよう。
来年7月に西原で会おう。





posted by たるー at 12:35| 広島 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これを読んで大阪で仲田先生の教室に通っていた時のことを思い出しました。

通っていたのはほんの10ヶ月ほどで、弾き納めは一回しかなかった。
沖縄会館で新人たちにまじって「安里屋ユンタ」「豊年音頭」をステージで披露。
上級者は難しい唄をうたい「来年は自分も!」と決心したのに、ほんの4ヶ月後には宮古移住を決意!

宮古に来てからドタバタで慌ただしく過ぎていたのですが、最近になってblogをはじめたせいもあってか、大阪でのことを思い出します。
仲田先生のところのこと・・・。
教室でみんなと練習していた雰囲気が懐かしいです。
Posted by あとぅを at 2005年12月26日 16:30
教室で三線をやるっていう良さありますよね。緊張感もあるし。
先生に習うというのは大事ですよ。
宮古にも習うところはあるのでは?
Posted by たるー at 2005年12月27日 06:41
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