2005年09月26日

沖縄語辞典

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今日は来年の優秀賞と最高賞をめざすメンバーの稽古の日。
来年は海田教室から2名。最高賞は私が挑戦する。

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2005年09月25日

「よい声」考

「よい声」とはどのような声だろう。

よくこんな質問を受ける。
「私の声はよくなるでしょうか」
「沖縄民謡の声ってどうやってだすのでしょうか」

民謡歴ウン十年の先生ならまだしも、未熟者の私に答えられるはずもない。
また声楽のプロでもなく、自分自身が歌に四苦八苦している立場で断言することもできない。

けれども、どんな声が気持ちよくなるか、これは万人がそれぞれの感覚で感じることであり、専門家やプロだけがいえることではないのではないか。そう見るとと私のようなものにも考えるところがある。

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2005年09月24日

甘い歌声

毎日、浦波節、世宝節を口ずさむ。

CD「チコンキーフクバル」を聴いては、その唄を作った人の想いを感じつつ、また仲西光雄師匠の吹き込んでくださったMDを聴いては、時の流れにながされずに沖縄の人々が生活の中で、また民謡界で、営々と受け継いできた唄の心を感じる。

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2005年09月18日

沖縄から友人が

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沖縄から友人が来た。
一緒に三線をやっている教室のメンバーも一緒に宮島から、平和公園を回り、そして三線教室、さらには飲み会を楽しんだ。

ほぼ広島県を横断するくらいの距離を車で走り、また、かなり歩いた。
お疲れだっただろう。普段沖縄ではこんなに歩かない、とタクシーを横目に弱音はかなり吐いていた。

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2005年09月16日

嘉手苅さん

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嘉手苅林昌さんのDVDをみた。
「唄と語り」
ほんと、とぼけた感じの、でもちょっとセンスのいいおじいって感じ。

着物か背広しか見たことがない。
Tシャツとかきるのだろうか。(着たのか、というべきか)

唄三線は若いころの、のびのある声や微妙なツボのコントロールは、ない。

ないが、もともと枯れた風のような声を味とする嘉手苅さんの声は、年相応に魅力的だ。
三線は適当に弾いている感もある。

最後の「嘉手久」なんか、林次に弾かせて、林昌さんは半分のストロークしかしてない。
(エイサーの地謡で、カチャーシーに疲れたとき、私もたまにしていたごまかし弾き・・昔の話ね)

私が、三線にはまり、熱病のように練習したのは嘉手苅林昌さんの「白雲節」であったし、「時代の流れ」や「ふぃんすー尾類小」などは何度でもリピートした。
そのおかげで、三線を弾き始めのころ通った沖縄料理屋さんのママさんから
「あんたは、嘉手苅さんって呼ぼうかね。」ってあだ名をつけられた。
(ついでに樽金ってあだ名も。それで、たるーとなった)

DVDの中で、「話している言葉を唄にしているからね」という言葉があった。
ウチナーグチでなければならない、島の言葉で語るように歌うという。

白雲節は、本当に心の叫び、想いを唄にしたものである。
だからウチナーグチでなければならない。

ややもすると、ヤマトに住む私たちは、こちら側に引き寄せて、ヤマトグチの唄を好み、文化とはそういうものだ、本土には本土なりの沖縄民謡や三線の受け止め方があるのだ、と自分たちのうちなーぐちへの勉強不足を正当化する。

沖縄音階、三線の音色、民謡の節回し。。どれをとってもそれはウチナーグチとの相性で、これまで育てられてきたものだと思う。

嘉手苅さんの声の味もまた、ウチナーグチにふさわしいものかもしれない。


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2005年09月14日

岡本太郎と民謡

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岡本太郎の本。どこが島歌と関係するのか。
知る人ぞ知る、沖縄通、とくに八重山通。

そもそも、縄文的なエネルギーを感じる風土、文化に異常なまでの執着をしていた岡本太郎。
彼のパッショナブルな芸術の作風は、現代社会のへの批判であるつつ、辺境の文化への憧憬でもある。

かの大阪万博の太陽の塔は「もっとも万博を批判する縄文的なもの」だそうだ。

岡本太郎の沖縄を撮った写真集を以前借りた。
そのつながりでこの「岡本太郎の世界」を借りた。

後半に「八重山の悲歌」という章で詳しく八重山民謡を論じ、紹介している。
そして、三線の技巧が気に入らず、唄者に三線を弾かせずに歌だけ歌ってもらう話がのっている。技巧は「堕落」だという。

友人からかりたビデオで、登川誠仁氏が「ナークニーも、トゥバラーマもヤマトフージになっている。もっとみなが昔の唄を勉強しないと、廃れていく」と危機感を表明していたのを思い出した。

今夜は深くこの辺の話はやめておこう。
早寝をするために。

秋は夜長である。楽しみな季節。
だが、体も大事。



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2005年09月13日

受賞式

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今日は海田公民館講座。
ちょうど先週和平が持ち帰った、コンクール受賞者のメダル、賞状をみなさんにお渡しした。
嬉しそうに受け取ってもらったことと、コンクールの経験をされた人々は、みなさんいろいろ興味を持ち自分で勉強する姿勢を強くしていることが嬉しい。


コンクールの賞状は、私は額にいれて壁にはってある。

嬉しさもある。が、自分への戒めもある。

歌三線を志すものには、なんとか賞とか必要はないという人もいる。
師匠ももたずに歌三線ができる人は、相当な才能があるか、なくても楽しければよいという人だろう。
だが、私のように凡人であり、なくても楽しいかもしれないが、どこまでいけるのだろうという先の見えないものをもっと見てみたいという興味が泉のように湧いてくる衝動を止められない人間は、どうしても師匠が欲しいし、師匠を通じてその世界を垣間見たいと思うのだ。

そして、最高賞を来年受験するところまできたが、歌にはどこまでいっても、これでいい、という果てがないことを最近感じる。やればやるほど、わからなくなり、そして遠くに光明が見えたと思っても、それも幻だったりする。人生も同じようなものだろう。
そして、そうだからこそ、今自分はどこまで掴んだのか、という証をしっかりと握っておきたいのだ。
山を登るのに、一つ一つ足場を固めるように。

そして、登ったことに酔いしれていれば、足をふみはずす。

戒めに、壁にかけた私の賞状はどことなく微笑んでいる。

みなさんおめでとう!!
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2005年09月11日

三原での稽古

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朝4時に目覚める。緊張しているのだろうか。
しばらく横になる。
いろいろ夢をみたが忘れた。

海田駅に10時40分にOさん、Sさんと待ち合わせ、普通電車で三原に向かう。
いい天気だ。たしか天気予報は70%の降水確率をだしていた。
台風一過なのだが、先島を荒らしている台風がUターンをして影響を与えている、はずなのだが、いい日和だ。
こんなときはのんびり普通電車がよい。

三原に着く。12時だ。
腹が減ってはなんとやらだ。食堂やうどん屋があるだろう、と探す。
ない。
目の前にある天満屋。デパ地下にいく。
人がいない。弁当屋で弁当を購入するも、どうもこのデパートは閉店するらしい。
選挙当日なのだが、人通りがない。
不況の影響をもろうけている町、という実感。

三原中央公民館につく。弁当をぱくついていると仲西光雄先生と三原で教室を開いている先生のご長男、樹(たつる)君が現れた。

しばらくゆんたくして、稽古がはじまる。
声だしに「かぎやで風」
来年の優秀賞のOさん、Sさんが中心に「染みなし節」「宮古根」の稽古。

来年の最高賞の「浦波節」「世宝節」は私と樹。

それに私の1月3日(に延期になった)由絃會の教師試験の稽古。

1時からはじめて5時近くまで。休憩もいれつつ4時間近くの稽古。
しかし、楽しい。疲れない。
浦波や世宝をうたえたのも嬉しい。
節のおかしいところや、頭にはいっていない三線の手もあるが、そんなことより、先生の前で歌えるのが嬉しい。
やはりよほど、いつもが孤独なのかもしれない。
沖縄から島流しにあった三線弾きが、ひさしぶりに人にであったような感じか。
先生のうちなーぐちも懐かしさすら感じる。

公民館を引き上げ、尾道の河童屋というお鮨屋へ。
先生と樹家族と3人で会食。
楽しいひと時だった。

ふと思う。もし沖縄に住んでいたら、こういう稽古は日常的だろう。
そういう日常にあこがれる。
先生も、そうだったらもっとうまくなれるのに、といってくださる。

しかし、それが非日常だからこそ、飢えた者のように先生の歌、三線が目の前にあると幸せになるのだろうか。
それとも沖縄にいてもそうなのだろうか。
それはわからない。
まあ、考えてもしかたないのかもしれない。
今は、まず目標に向かって、孤独な稽古も、楽しい教室も、先生との稽古もすべて有意義な時間として自分の肥やしとして生かしていきたいものだ。

帰りの電車に揺られながら、暗闇に浮かぶ遠くの街の明りが、ふと懐かしい感じがした。

写真は、昨年12月の先生と樹の息子(つまりお孫さん)


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2005年09月10日

普久原朝喜とローリー

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来年、民謡コンクールの最高賞を受験すると前に書いた。
その課題曲、浦波節と世宝節を作ったのは普久原朝喜。

マルフクレコードの創設者であり、たくさんの名曲を生み出した芸術家でもある。

そして、「芭蕉布」「豊年音頭」などの作者普久原恒勇の父親であり、広島にも時々ライブで訪れる「ローリー」の祖父であることは、知る人ぞ知る。

その生み出す音楽のジャンルは違う部分も多いが、音楽的感性はみごとに遺伝しているといえる。

普久原朝喜のアルバムの復刻版「チコンキーフクバル」を手に入れた。

余談だが、沖縄で息子に探させたのだが、フクハラレコードで、高校2年の息子がレジに持っていくと店員から不審そうな顔で
「これ、わかるんです?」って聞かれたそうだ。
余計なお世話だ(笑)

同時にその孫、つまりローリーのアルバム「ROLLY'S BEACH!」も買った。
ローリーの曲は70年代のコザのロック。ウチナーグチでのロックは面白い。
2000年に作られたアルバムには新良幸人やBEGINも参加している。
お互いに影響を与え合っている様子も面白い。

さて普久原朝喜のアルバムに話しを戻そう。

この人、毛遊びでのサンシンスーブ「三線勝負」では負けなしだったそうだ。
はんた原の弾き方を編み出した人でも有名。
その歌い方、どこかで聞いたなあと思えば、喜納昌永。後輩になるのだろう。

そして女性の声の高く強いこと。

時代が変わると好まれる声の質も変わる。今では、三線の弾き方も、あまりに早いものはほとんど見られない。
けれどもこの弾き方、歌い方が当時の人々の血をわかし、生きるエネルギーを与えていたのだということは想像に難くない。

もう一度、物知り節(浦波節)を聴いてみようか。

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(右から2番目が普久原朝喜 三線だけでなく、マンドリン、ギターもこなしたという)
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河原へ

明日は、仲西光雄師匠と三原で稽古。
私は1月3日の由絃會教師試験、他の2人は来年の優秀賞のために。
今回は、来年組に限っての稽古とさせてもらった。
他の方々も見学したいという要望もあったが、申し訳ない。

さて、毎日課題曲を練習しているとはいえ、緊張感もどことなく弱くなっている。
昨日は昼休み、かぎやで風を歌っていて、イスからおちそうになった。
一瞬、睡魔に襲われたのだ(笑)

仕事の疲れもあるかもしれない。
メリハリも大事だと思う。
最近は昼休み三線を弾きながら睡魔に襲われたら、寝ている。

今日は、ひさしぶりに近くの河原に三線を持ってでかけた。
台風の爪あとはかなり残っていて、ユンボやブルドーザーがはいって、土盛などをしている。

河原の土手に作られた階段の一番上に立ってナークニー、染みなし節などを歌う。

簡易のボイスレコーダーで録音する。
最近はMDよりこちらだ。電源の心配があまりない。
(MDの電池も交換が必要かもしれないが)

ひさしぶりの外での練習。気が付いたら2時間を過ぎていた。
明日の師匠との稽古、いいかっこをするより、正直にさらけ出したい。
普段は優しい先生だが、稽古では、歌えなくなることもあるくらい厳しいときがある。
それは、歌をひとから受け継ぐということの厳しさも学べる、絶好の機会である。

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2005年09月05日

芸能祭から

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9月3日沖縄は那覇市民会館で琉球民謡音楽協会の第4回芸能祭が開催された。
仲西研究所広島支部からは2名が参加した。
昨年まで、誰も参加したことがない芸能祭。実は私も一度も参加できていない。

今年は、できれば参加したいと思っていた、矢先、新人賞に合格した息子が
「いってみよっかなー」
といいだした。

2ヶ月間隔に2回も2人の沖縄旅行を生み出す経済基盤は、たとえば「大富豪」ゲームで「革命」ってならない限り、ない。

しかし、嬉しいことである。
子どもと親の関係が難しくなっている時代である。
可愛い子どもには旅をさせろ、である。

その息子が芸能祭から帰ってきた。

感想を聞くと楽しそうだった。台風で戻れないかもしれないというスリルも楽しんだようだ。
しかも一人旅。たくさんでわいわいの旅もいいが、一人旅もいい。

「豊節はぼろぼろだった」という。
斉唱の楽しさを味わってくれただろうか。

もう一人の参加者Yさんは、とても感動したという。

歌を歌うときに、その歌にまつわるいろいろな経験が豊富なほど、豊かに歌えると思う。
コンクールや芸能祭で、ひとつの歌を歌うためのさまざまな練習、失敗、そして舞台にあがった経験が、歌うときに無意識のうちに歌を支えてくれると思う。

経験を積めば積むほど、歌の芯が固くなり、同時に柔軟さを増す。

芸能祭の経験が二人の歌にまたひとつの強さを与えてくれると思う。

息子の沖縄行きで、おやじはがけっぷちに立ったが、お金に代えられない経験を積んでくれたならばなによりである。

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2005年09月04日

そろいのTシャツ

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三線教室をやらせていただいている横川の町は、町おこしイベントの盛んなところである。
レトロバスを復活させ、それに「かよこ物語」という話しまで作った。

その「かよこ」というのは、JRの可部線の基点と終点の町、可部と横川の頭文字をつけたものだ。

かよこが嫁入りをするというイベントが盛大に行われた。
それで、横川三線教室に賑やかにやってもらいたいという依頼が来た。

約10名。そろいのTシャツを着ているのは、今年の5月にやったイベント「いつみコンサート」で作ったもの。

やはり、そろいの衣装というのはいい。

後ろに写っているのは、「甑」(こしき)というお店。2階で三線教室を開いている。

未熟ながらも、みなで頑張って演奏させてもらった。
横川の町にも三線がすこしずつ広がっている。


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