2005年07月24日

ひろしま三線クラブコンサート

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ひろしま三線クラブが10周年を迎えてコンサートが行われた。
懐かしい人もいるし、みたこともない人もいる。
いろいろな団体も参加している。

仲西光雄民謡研究会広島支部からも参加。
初めての参加になる。
十数名で、安波節、安里屋ゆんた。

広島エイサー琉風会としては毎年参加している。
今回、琉風会ではチョンダラーをやらせてもらう。念願だった。

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ひろしま三線クラブは私にとって三線の初歩を学んだ場所。
そして、そこから、今の仲西光雄先生の研究所に入門した。

クラブには「誰もが先生、誰もが生徒」のような雰囲気があり
それが心地よかった。

けれども、道を求めていくうちに、先生についてご指導受ける道を選んだ。
私には、それがあっていると確信があったわけではない。
先生との偶然の出会い。そこで感じたものは、歴史の重み。
私は楽しむクラブというものより、厳しくても探求する道があっている
と後から感じた。

それを感じるためにも、この三線クラブでの経験、出会いは貴重だった。
今後もひろしま三線クラブの発展を願う。
posted by たるー at 00:00| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月18日

昨日 お疲れさん会

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コンクールにいったメンバーたちで昨日は「お疲れさん会」をやった。

横川のKさんがいろいろ準備をしてくださって、たくさん集まることができたし、おいしい手作り料理やお酒に、恒例のビンゴゲームなど、楽しい時間を過ごすことでできた。
(写真はそのKさんの奥さんが用意してくださったおいしい手料理を囲んだ様子)

また海田のOさんがこれまでの会計報告をきちんと作ってきてくれて、今までどういうところでいくら経費がかかるのかという、きちんとした記録となっている。今後、コンクールに参加する方への貴重な資料になる。

コンクールに向けては、こういう方々の支えがあって日常の稽古ができていることも、感謝しなくてはならない。
見えないところの支えは、誰かがしないとできない。

足を向けては寝られないと、といってもまだ方向は調べていない(笑)

posted by たるー at 23:50| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月09日

コンクールを終えて2

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いつも思うことだが、コンクールに行く度に、たくさんの方のお世話になる。

ひとつの花を咲かせるために、たくさんの水と栄養と太陽の光がいるように、唄の花もまたたくさんの繋がりのなかで花開く。

師匠の仲西光雄先生をはじめ、琉球民謡音楽協会、由絃會の先生の皆様。
仲西研究所の仲間と先生のご家族のみなさん。
そして、今回MAGIさんや応援にきてくれた友人のみなさん。
ネットで知り合った三線やエイサーの仲間。
定宿で、いつも応援してくれる従業員のみなさん。

あげればきりがないほど多くの人々に支えられ、励まされている。

唄は、個人的なものであり、同時にとても社会的社交的なもの。
自分でつくるものでありながら、周りに育てられていくものという実感をいつも受ける。

その周りへの感謝の心がなければ、唄も、また空疎なものになる。

6月30日に沖縄入りした6名は、金城三味線店を訪れた。
金城盛市先生、金城盛長先生のお二人が丁度おられて、コンクール前のお忙しい時間なのに
三線を調整してくださったり、コンクールを受ける心構えなどについてもたくさんのご指導をいただいた。

その後、急遽MAGIさんのはからいで、デイケアセンターを訪れ、お年寄りへの慰問、空いた部屋での稽古をさせてもらった。コンクールを受ける前に、目と耳の肥えたおばあさんたちに唄を聞いて頂くというのは、結構なプレッシャーである。とても大きな経験と自信をつけることになった。(上の写真)

夜は仲西先生の研究所で、研究所の受験生のみなさんと一緒に稽古。
これは翌日も続く。仲西先生にもコンクールでお忙しい時間を縫ってご指導いただいた。

コンクール会場、控え室などで、たくさんの受験生たちが、一生懸命唄を仕上げるために歌っている、その姿、その音に触れるだけでも強い刺激になる。


本土で唄を学ぶ私たちが、こうして沖縄の地に足をつけ、空気を吸い、唄の島沖縄を支えている人々と交流し、指導して頂く経験は貴重であり、重要である。なにより、私たちは沖縄の唄を学んでいるのであるから。

コンクールの結果、合格、不合格は、厳しい審査で出てくる。

しかし、結果だけですべてを判断してはいけない、こういたもろもろの沖縄で頂いた栄養、刺激を貰ったこと、なにより、コンクールに向けて稽古してきたこと、唄を育ててきたことを大切に思い、それに感謝する気持ちを忘れてはいけない。


不合格とは、
「まだ、あなたの花を咲かせるのは早い、あと一年大事に育てて、また来年沖縄に来て咲かせなさい。」
と唄の道の先人たちが教えてくれているのだと私は思う。厳しい結果であればあるほど、その人は更に努力をして、よりたくましいみごとな唄の花を咲かせるに違いない。そう信じている。







posted by たるー at 08:17| 広島 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月08日

民謡コンクールを終えて

やっと書き込みできる時間が来た。

沖縄から帰ってばたばたの連続と、いままで味わったことがない疲れ。
コンクールを振り返っていろいろ思うことがある。
いずれ、詳しい旅行記は書くこととする。
いまは、思いだけをまとめたい。

コンクールとは何なのか。これがまず考えたことだ。
島唄をめざすものにとって、マイナスなのか、プラスなのか。

広島から14名、三原から1名。広島から仲西光雄先生のご指導のもと、計15名の方がコンクールを受験された。そのメンバーが受験している中で、私は、コンクール自体、必要なものなのかどうか、をあらためてかんがえてみた。

こういう意見もある。協会が乱立し、それぞれ対立しているような状態は嘆かわしい。
また、しかたないとしても、協会によってはいい加減な審査をしているのでは。
いや、とにかく、合格すればいいのだ。うまく歌うことが大事。
コンクールに否定的な意見もいろいろだ。

私は、このコンクールが、それほど歴史の深いものではないこと、形は本土にあるなんとかコンクールなのだが、コンクールというのは、いろいろな協会の存立基盤にもなる、ということに注目したい。
いろいろな協会が出来始めたのは、それほど昔ではない。
沖縄が、ヤマトの世、アメリカ世、そしてまたヤマト世と世代わりをする中で、民謡も強い風をうけてきた。芸術、文化は政治の形に大きく左右される。

もし、風をまともにうけていたなら、ヤマトの民謡の状況と同じで風化していただろう。
その傘になったのが、さまざまな協会、そしてコンクールだと私は思っている。

というのは、その乱立し、対立もありながら、実はそれぞれが支えあい、協力もしあい、もちろん切磋琢磨しながら芸能の発展に寄与しているからだ。表向き、対立しているようで、個々人のつながりが強いのも沖縄の芸能の特徴である。


今回コンクール経験は4回目。琉球民謡音楽協会が出来てからの関わり。
15名が受けて、12名が合格。
つまり3名が合格しなかった。

これが重い。

ブザーもない、歌いきったのだ。

つまり、私は合格したと思っていた。そこに甘さがあったといえる。

後悔してもはじまらない。
合格する力を付与しきれなかったという自分の力不足である。

明日をみつめていくことは大事である。
過去の失敗は未来の課題となることは、私がいうまでもないこと。

明日またゆっくりふりかえってみたい。


posted by たるー at 22:51| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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